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第1章 保障という効用
「父は、私が小学校2年生のときに、病気でなくなりました。母と私と弟2人と妹を残して・・・ 父の写真を見ながら、父が自分に万が一のことがあったとき困らないようにと、私が生まれたとき、生命保険に入ったことを母は話してくれました。」
お父さんの命のお金を、みんなの教育資金に使いたいの。そうすれば、一人ひとりにお父さんの命がわけられたことになるでしょう」
父を亡くしたある中学生の作文から
「生命保険は不確かさを確かさに変える確実な手段である」
出典 S.S.ヒュープナー、KブラックJr共著『生命保険』
第1節 父は死後も変わらぬ愛で家族を支える
〜父を亡くしたある中学生の作文から〜
―「お前の家、ボロだなあ。」
忘れもしません、小学校5年生の夏の日のことでした。この日は、3時限目、理科で学校の近くにある川の調査に出かけたのです。そこへ行く途中に、私の家があるのです。友人が、
―「ここが敏子ちゃんの家よ。」
と言ったとたん、男子のあの言葉。私は、うつむいたまま、何も言えませんでした。
その日の学校は、とても長く感じられました。
家に帰るなり
―「お母さん、新しい家、建てようよ。」
と、母にせがみました。
突然、家を建てようと言い出す私の顔を見て、母は、何かがあったと察したのでしょう。
―「どうしたのか言ってごらん。」
と、優しく尋ねるのです。でも男の子の言った、『お前の家、ボロだなあ。』の言葉を母にはなかなか言えませんでした。やっと、母にすべてを話したときの母の悲しそうな顔は、今でも覚えています。父を失ったときのあの悲しそうな母の顔ではなく、つらさに耐えている母の顔に見えました。
母は、私を父の仏壇の前に座らせました。
父は、私が小学校2年生のときに、病気でなくなりました。母と私と弟2人と2歳の妹を残して・・・。
父の写真を見ながら、父が自分に万が一のことがあったとき困らないようにと、私が生まれたとき、生命保険に入ったことを母は、話してくれました。
―「敏子が家を建てたいなら、お父さんの生命保険のお金で建ててもいいと思う。でも、この家は、お父さんとお母さんと4人の子供たちがいっしょに住んでいた家だから、どんなに古くても大切にしたい。お母さんには忘れられない思い出がいっぱいつまっているから。」
母の声が涙ぐんでいます。
柱の傷、玄関のガラスのひび、父の思い出がたくさんつまった家。それを私はもう少しで忘れるところでした。他の人にとってボロな家かもしれませんが、私の家族にとっては、父に出会える最高の家なのです。
―「お父さんの命のお金を、みんなの教育資金に使いたいの。そうすれば、一人ひとりにお父さんの命がわけれらたことになるでしょう。」
と言いながら母は、4冊の貯金通帳を私に見せてくれました。私たち兄弟1人ひとりの名前の書かれた通帳でした。
母を悲しませてしまった私は、母の言う父の命の遺産を受け継ぎ、デザイン関係の仕事をするため、高校、専門学校へ進む資金にしたいと思います。
今日も父との思い出のいっぱいつまった古い家に、母の夕飯づくりを手伝う弟や妹たちの声が響き渡ります。
出典『生命保険文化センター 中学校作文コンクール 優秀作品』一部抜粋
これは父を亡くしたある中学生の作文である。
この作文からでは亡くなった父がどのような生命保険に加入していたかは明らかではない。この家庭は父の生前にあってもけっして裕福な家庭ではなかったかもしれない。しかし、幸せな家庭であったことも容易に想像できる。おそらく、亡くなった父は、自分が万が一のときを思い、家族のために、裕福ではなかったかもしれない家計から生命保険料の支払いをしていたのだろう。
父と母の間で生前に生命保険金の使い途について、どのような話し合いがあったのだろうか。間違いなく言えることは、父に万一のことがあった際に、まず第1に生命保険金を子供たちの将来のために使うことを話し合っていたのだろう。そして、受取人も、それぞれの子供としたのであろう。
生命保険を通して父は生きている。少なくとも父は経済的には、家族を生前と変わらぬ愛情で支えているのだ。父が残した生命保険は目的を達成しているのである。また、この母子が受け取った生命保険金は、父の家族への愛情だけでなく、相互扶助の精神に基づく多くの加入者によって支えられている。そして、父から母子へ生命保険という愛情を届ける役割を果たしたのは、間違いなく生命保険会社とその営業職員である。
そもそも生命保険は、大勢の人々による相互扶助と家族に対する愛情を基本とするもので、「大数の法則」(29頁参照)という自然界の法則を科学的に活用し、人間生活の豊かさを維持するための経済的・文化的な「助け合い」の制度である。そして、その加入者に経済生活の「保障」とその「準備」という効用を与えてくれる。すなわち、小額の負担で「将来の不安」を「現在の安心」に置き換えるもので、この保障の効用は他のいかなる金融商品にもない特質であり、これが生命保険の利用価値の真髄である。生命保険制度を支える2つの大きな柱は、家族愛と相互扶助による助け合いの精神にあるといわれる所以である。そして、生命保険の営業に携わる者なくして、生命保険制度は存在し得ない。詳しくは第1部第3章で述べるが、生命保険募集人の助言なしに生命保険の真の必要性をお客様が自ら理解したうえで購入することは困難なことだからである。
冒頭の中学生の作文は、生命保険の本質(保障の効用)と生命保険募集人の存在意義の証である。
第2節 人生の伴侶としての生命保険
〜もし、この世に生命保険がなかったら〜
第1部では生命保険という保障の効用が、ある家族にもたらした事実を紹介した。もし、生命保険がなければ、第1節で紹介した家族はどうなったであろうか。この問いに対する回答を紹介したい。
もしこの世に生命保険というものがなかったならば(世帯主(収入の担い手)の死亡による収入の途絶に対する遺族の保障手段がなければ)、我々の生活水準はひどく低下し、個人個人の成功のチャンスも大きく制限されるだろう(なぜなら、世帯主の死亡による収入の途絶により、残された遺族が世帯主の生前と変わらぬ生活を送ることを可能とする重要な経済的保障手段がないからである)。
上記文章は、LIAMA(生命保険外務経営協会“Life Insurance Agency Management Association”現在は LIMRA“Life Insurance Management and Research Association”と改称)による『保険はこのように役立つ』からの引用である。亡き父が残してくれた生命保険がなければ、第1節で紹介した作文を書いた中学生は将来デザイン関係の仕事をしたいという夢を断念しなければならなかったかもしれない。生命保険の役割と効用を非常によく表現している文章である。
同書では、もしこの世に生命保険がなければというテーマをわかりやすい比喩で説明している。そして、生命保険を人生にとってなくてはならない、人生の伴侶として位置付けている。また、個人生活の安定を保障する生命保険は、その大きな副産物として社会の安定をもたらす。つまり、生命保険というすばらしい人生の伴侶に恵まれた人の多い社会が、いかに安定するかも併せて説明している。引用文書自体に多少の時代の違いを感じる部分のあるが、今なお色あせない真実が含まれている。少し長い引用となるが、以下に同書からその箇所を紹介する。
人々はなにを欲するか
最近、中西部の都市にある製造会社が、1つの調査を行なった。その中で生命保険エージェントの特に興味をひく質問と回答は次の2つであった。
すなわち第1は、「人生であなたの最大の希望は何ですか」という質問に対し、「経済的に安定すること、幸福と安定を得ること、老年になって後顧の憂いのないこと、自分の家族の生活が保障されること、健康を保持し仕事が続くこと、家族や友人からの尊敬を得ること」等々が回答された。これを要約すれば、人生の最大の希望は「安定」ということである。
第2の質問は、「人生におけるあなたの最大の恐怖は何ですか」ということであり、これに対する回答は、「自分や家族にとって安定した生活が続けられないこと、病気と失業、貧困と死、老年になって他人の力に頼らねばならぬこと」等々であり、要約すれば生活に安定が得られないということに対しての不安であった。
これらの考えかたは、生命保険エージェントに対して大きな刺激となると思われる。なぜならば、生命保険エージェントが取り扱う商品こそ、人々が何にもまして欲しがっていると、思われる安定性を提供できるからである。
生命保険はどんな役割を果たすか
生命保険は、人間が独力で安定をかちとれる最も効果のある方法である。現在のような工業社会においては、生命保険はいわば「経済的に肥沃な土地」*であるといってよいであろう。生活の安定に対しては、4つの大きな脅威がある。すなわち失業、就業不能、死亡および老齢である。生命保険は、これら4つの脅威に対して経済的保障を与えるものにほかならない。
今日生命保険は、生活に安定を与える一番有効な方法であるばかりでなく、大部分の人にとっては、安定をかちえたり、持続するための貴重な手段であるといえる。
*ここでいう「経済的に肥沃な土地」とは、かつて農村から都会へ移住した人々に、生命保険が農村経済における農地のように、生活を安定させる基盤であるという意味。
われわれは、個人生活の安定ということをごく短かい言葉で表現することができる。
たとえば未亡人もあくせく働く必要もなく、老人はノンビリ日光浴ができるといったような情景を描けばよいわけである。
この、いわば一種気品のある生活を毎日送ることができるというのは本当に大切な貴いことである。人が生きて働いていれば、その労働の結果、お金を家庭に持って帰って来る。かくて、彼はある程度の生活水準を保つことができるのである。ぜいたくは許されないかも知れないが、友人に見せられるような家を持つぐらいのことはできるであろうし、また妻や子供たちにもぜいたくな衣服とはいかないまでもこざっぱりした身なりをさせることはできるだろう。彼がいとおしんでいる人々に人生を楽しませることぐらいはできるのである。
人が死んで、郵便配達人が彼の生前に準備しておいたことの結果を持ってやって来る。それが余りに少な過ぎた場合には、この家族の気品は将来とても保てない。家は段々みすぼらしくなり、衣服はすりきれ、食事も次第に質が落ちてくる。ものに感じやすい年齢になった子供たちは、学友たちがズボンのつぎを心なく指さしているのを感じるようになり、未亡人の友人も、彼女が5年間も着物の新調ができないのを見て、かえって恥をかかせてはという懸念から集りにも誘わなくなってしまうであろう。未亡人自身も、ソファーに穴があいたままになっているので、友人を家に招くこともできないで、1人で家へ引きこもりがちになってしまう。
多少の収入があったとしても、未亡人や子供たちが気品のある生活ができなかったとしたら、とても安定したとは言えないのである。
気品と自由を兼ね備えた安定
こう考えてくると、生命保険エージェントというのは、人間にとって生活の安定を売る人、すなわち気品を売る人だと言ってよい。生命保険は、死亡による経済的損失を保障するだけでなく、人生の安定を保障するものだといってよい。生命保険こそ、まさに人に安定を与え、しかも同時に自由を与えるものである。
実際、生命保険はいまや電気、ガスあるいは交通機関等(社会を支えるインフラストラクチャー)と同様、あたりまえのものとして大衆から受けいれられるようになっている。
何かことが起こって、社会生活の基礎となっているサービスがうまくいかなくなって初めてわれわれは、どんなにお互いに頼りあっているかということに気がつくのである。万一にも落雷や爆発、洪水や火災その他何か災害が起こって、1都市から電気というものを全く奪ってしまったとしたら、都市の活動も一瞬にしてひどくノロノロしたものになってしまう。電灯、熱、電話、交通機関その他数百の活動もたちどころに停止する。
生命保険が万一なかったら もし生命保険制度が世に存在しなかったら?
ある若者が、その妻と子供たちのために自分の家に住む夢をとうとう実現した。無論、その家を抵当にして相当のお金を銀行から融資してもらわなければならなかったが、彼が健康で仕事ができる限り、20年間で返せばいいのだから、その点では何の問題もない。そして生命保険は、この「・・・の限り」という条件をとり去ってしまうことができる。生命保険があってこそ、彼が万一家族の中から消えるようなことがあったとしても家族に持家を残してやれるわけである。したがって、生命保険というものがこの世にないとしたら、家族は自分たちの家に住めないかも知れない。また別の若い医師が、昼も夜も小さな町の医療の必要を満たすために一生懸命に働いている。彼はインターンを終えてすぐこの町に来たのだけれど、それからまだ1年にもならない。彼の父は、彼が医科大学の最終学年の学生であった時、不慮の事故から一命を失ったが、遺族が楽に暮せるだけの生命保険に加入していたし、また息子の医学教育を完成するに足りる特別の保険金も用意しておいた。もしこの世に生命保険というものがなかっとしたら、この若い医学生は学校をやめて、未亡人になった母親や2人の弟を養うため働かなければならなかったろうし、この小さな都市は、必要としている医療のサービスを得られなかったであろう。そして、近隣の人々も健康を損ねてしまったかもしれない。
もしこの世に生命保険というものがなかったならば、われわれの生活水準はひどく低下し、個人個人の成功のチャンスも大きく制限されただろう。
人生の伴侶
かくて個人生活の安定を保障する生命保険は、その大きな副産物として社会の安定をもたらす。
生命保険は、家庭の保護のために販売される。われわれが家庭を護るとき、同時にわれわれは社会の基礎的な一構成単位を保護しているのである。多くの健全な家庭から成りたつ社会は、安定したものとなる。
生命保険は、子供たちの将来を保障するために販売される。今日の子供は、明日の市民である。健康な、教育のある、また幸福な市民から構成される社会は健全なものである。
保険料が数百万の人々によって払い込まれて、この国の産業を動かし、家を建て、子供たちに衣服をもまとわせる。われわれが土に帰ってからも、このことが続いていくならば、われわれは最も多数の人々に最大の善を行なっているのである。われわれは、「人生、自由および幸福の追求を」永く続けているのである。すなわち、生命保険はまさに人生の変わらない伴侶となっているのである。
出典『保険はこのように役立つ LIAMA販売シリーズ2』一部改 |
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