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人生は小説より奇なり・・・偶然の連続をどういかす? |
2005/10/07(金) |
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我々は生きていると考えられないような現実に出会うことが度々あります。 「人生は小説より奇なり」と言いますが、まさに人生には予測のできないことが多すぎると思います。 交通事故は毎日どこかで起きていて、だれかが犠牲になっているのですが、自分だけは事故に遭わないとだれでも思っているはずです。 でもだれかは事故にあってしまうのです。 人生には可能性がないように思えることもおきることもあるのです。 そのようなことに出会った人は、運が悪かったと言うしかないでしょう。 ジャンボ宝くじにでも当たるような確率で悪いことにあってしまったのですから。
人生はある意味では確率だと言えるでしょう。 この場合の確率とは一年とか、二年とか短い期間の確率ではなく、何十年あるいは何百年という長い期間で考えなければならないのです。 よいことが多くおきる人もいれば、悪いことだけが続く人もいるでしょう。 「人生にはなんでも起こりうる」ということは、裏を返せば「人生ではなんにも起こらない」と同じことです。 幸せの続く人がいれば、逆に不幸だけが続く人もいるのです。 不幸の続いている人にはお気の毒ですが、人生とはそういうものではないでしょうか。 それが現実だと思います。
人生にはなにがおきるか分からないけれども、いいことがおきる確率を高くすることも、悪いことがおきる確率を低くすることもある程度はできると思います。 あくまでも確率を意識的に操作することであって、やはり人生にはなにがおきるのかは分かりません。 生きていく上でいいことのおきる確率を高くし、悪いことがおきる確率を低くすることは重要なことです。 そのためには自分を磨く努力と生きる知恵が必要なのです。 努力なくして幸せにはなれないと思います。 偶然舞い込んできた幸せは幸せとは言わずに、幸運と言います。 幸運には努力が伴わないので、長続きすることが少ないのです。
人生にはどんなことも起こりうると同時に、いくら努力してもいいことが起こらないかも知れないのです。 いいことばかりが続くかも知れないし、悪いことばかりが続くかも知れないのです。 でもそのようなことがおきる確率を操作することができるということが重要なことなのです。 このようなことは最終的には人知を越えたことであり、人間の力の及ばないことかも知れません。 だからといって人生は努力するに値しないと考えることは短絡的過ぎます。 なにがあるか分からないから、どんなことがおきても動揺しないように、自分を鍛える必要があるのだと確信します。
人生ではどんなことも起こりうるということを経験的に知っている人は多いのですが、逆にどんにな努力しても報われないこともあるということを知っておくことこそが、逆境に落ちても耐えるためには必要だと思います。 人生の確率はひとりの人の一生という短い期間では、はかることのできないものかも知れません。 パチンコで大当たりが短い間隔で連続することもあるし、いくらお金をつぎ込んでも大当たりが来ないこともあるのです。 たとえパチンコ屋さんが裏で不正操作をしていなくてもです。 人生の幸不幸の波も結果的にしか分からないものと思います。
唯一我々にできることといえば、その確率を努力によって少し操作するくらいのことかも知れません。 自分は人並み以上に努力しているのに報われないということも人生なのです。 でもそこでくじけないように自分を強くしなければならないのだと思います。 悪いことばかり続く人は、自分が努力しているのか、努力していてもその方向には間違いがないのかを考えてみることが必要でしょう。 自分の考え方そのものに問題がないのかどうか、そのことを考えないで努力しても無駄骨を折ることになってしまいがちではないでしょうか。
だからこそ、私たちはいつなにが起きてもあわてないように、自分を強くしなければならない理由があるのです。 そうしなければ予想外のことが起きたときに、二度と立ち直れなくなる可能性が高くなるのです。 一寸先は闇です。 必要とあればその闇も恐れないように、日頃から自分を鍛錬しておくことが大切だと思うのです。 |
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