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私は自分の考えをお伝えする時、
「ある1つの意識をもっていただきたい」と思ってお伝えしています。
ただときどき忘れます。
その考えは何かと言いますと、「固定概念」を持たないでほしいというこ
とです。
「なにものにもとらわれない、自由な心」をもってほしいと思っているの
です。
人の考えを肯定してほしくもありませんし、否定してほしくもないと思っ
ています。
私自身は肯定されるも否定されるもどちらでもいいのですが、ただそうい
う選択肢をもつということが「固定概念にとらわていく」のです。
たとえば、この人を受け入れたいと思ったとします。
その人はうつにとても悩んでいたとします。
それで、悩んで、困っているから、「どうしていったらいいんだろう?」
と考えた時、「この人を受け入れよう」と思ったとします。
これは別に問題ありません。
ですが、ここからが大事です。
「この人を受け入れよう」と思ったとき、「その人と一緒にいよう」と思
うこととは別問題です。
私からお聞ききします。
「この人を受け入れよう」と思ったとき、だいたいの人は「その人と一緒
にいる」という選択肢をとるのです。
「受け入れる」=「一緒にいる」なのです。
それは一体どこから出てくるのでしょうか?
その人のことを受け入れようと思ったとき、べつに離れていってもいいわ
けです。
距離を置いてもいいわけです。
「受け入れる」=「離れる」でも私はいいと思っています。
人の受け入れ方というのは、1つではありません。
私はいくつもあると思っています。
そこを1つに絞ると、その1つが間違っている場合、どうしたらいいので
しょうか?
出口はみつかりません。
それで、あなたは正しいと思うかもしれません。
ですが、それは自分だけで決めれる問題ではありません。
なぜなら相手がいるから。 |
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