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木を植えるということ。 2007/07/12(木)
ひとの営みのなかで、もっとも

崇高なもののひとつは、木を植えることではないだろうかと松岡周平さん。


それは大きく育った木々が有用な資源となり、森が川や海の生態系を守り、

温室効果ガスの親玉であるCO2を固定吸収して地球環境保護の役割を果たすからだけではない。あらゆる動物のなかで

人間のみがおこなう木を植えるという行為そのものがもつ、


すぐれて根源的な意味においてである。

そもそも木は苗木や種を植えてから一人前の大きさになるまでに

早くて数十年かかる!

つまり木を植えたひと生きている間にはリターンを得られないということであり

ごく普通の経済発想からはバカバカしいほど非効率な行為

また植えた自分のことよりも顔もしらない次の世代の人々のことを思える

ひとでなければこの行為はなしえないし、何よりも未来を信じるからこそ

できることで今だけを刹那的に生きているひとは無縁の行為である。


ブフィエの物語

木を植えることが、人間にとってとくに意味深い行為を世界中の人々に強く印象

づけた小さな本がある。


フランスの作家ジャンジオノが約50年前に書いたロングセラー

木を植えたひとだ。

たったひとりでアルプスの麓の荒地を森に変えた老農夫、ブフィエの物語である

第一次大戦から第二次大戦にかけての激動の時代、

欧州の人々がこぞって殺戮と破壊にあけくれていたころ

誰に知られることもなく

静かにこつこつと30年以上にわたりひたすら樺やブナの種(どんぐり)を植えていった

男の無私で高潔な魂の物語である。

たった一人の老農夫の手によって森がよみがえり枯れていた泉が湧き、かつ見捨てられた骸骨のような村に

村人がもどってきた小さな美しい奇跡。

木々が育って高く売れたわけでもCO2排出権売買(なんとフシギな言葉)

でメリットがあったわけでもない

ただある人が木をこつこつと植えて森ができたということだけのことだ。

なのに、否、だからこそブフエの行為にひとは、心の深奥をゆさぶられるのだ

この木を植えたひとの扉にジオノはこんな言葉を記している。

ある人が真になみはづれた人物であるかどうかは、好運にも

長年にわたって、その人の活動を見続けることができたときに

はじめてよくわかる。

もしその人の活動が、たぐいまれな高潔さによるもので少しのエゴイズムもふくまず

しかもまったく見返りを求めないもの。



最近モッタイナイで有名になったワンガリマタイさんの(2004年ノーベル平和賞受賞)

の活動もアフリカ全土で植林するグリーンベルト運動が発端だった。

そして宗教改革者マルテインルターがいったとされる次の言葉がひときわ

美しく響くのもやはり同じところに淵源がありそうである。


たとえ、明日世界が滅びようとも

私は今日リンゴの木を植える


高知県は森林率が84%で全国一の森林県。(国有林がほとんど!)

それはそれでけっこうなことだが、急激な四国山脈にわけいりひとしれず

黙々と木々を植え育てていった土佐の先人たちの営為をこそ、

誇るべきではないか

志を継ぐことこれこそが木を植えるという行為の本質なのかもしれない
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