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陰の努力をしているときこそ喜びとすべき |
2008/02/19(火) |
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いい会社をつくりましょうの伊那食品工業の塚越さんの話しです。
「25年ほど前、工場の事務所を建てなおしたとき、
敷地内に大きなケヤキの木があり、どうしても邪魔に
なったので仕方なく切りたおしました。
根を掘りおこす作業に立ちあいました。
細かく枝分かれをした根が、あらゆる方向へビッシリと
伸びている姿を見て、驚きました。
深めるということは、広がりも伴うのだなと、
教わりました」
(『いい会社をつくりましょう。』p.99)
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■私たちが目にできる木の姿は、地上に見えている
部分だけ。
それを見て、
「立派な大木だなあ!」
「ここまで育つのに、どれだけかかったんだろう」
と感銘を受けています。
■ところがその下には、ともすると、
【 それよりももっと立派な根が、
広く、深く張られている 】
のです。
大自然のなかで黙として屹立(きつりつ)する木々の
全体像が見えたなら、
私たちはさらなる感嘆のため息をもらすことに
なるでしょう。
■逆に言うなら、
森の奥深くで何十年も、何百年も、誰も見ていない中、
ひたすら、
【 来る日も来る日も地中深く根を張ったからこそ、
その結果として、見える部分が立派に育った 】
のです。
■これこそが、つまるところ、昨日ご紹介した
【 金次郎精神 】
といってもいいのかもしれません。
すなわち、
「遠きをはかる者は富み、
近きをはかる者は貧す。」
の心がけ。
■いまだ、人の視線を集めない若木であるとするならば。
チヤホヤされるのはいつでもできる、
いまは地中深く、広く、ただひたすら根を張るときだ、
と思ってがんばっているうちに、
結果として幹や枝ぶりが立派になり、
人が仰ぎみる巨木となり、ときに観光地にさえなるのです。
しかし、上に伸びることばかり焦った若木は、
志なかばにして腐ったり、倒れてしまうもの。
その差は歴然です。
■陰の努力をしているときこそが、
喜びとすべきときなのかもしれません。 |
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