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化粧する脳から抜粋。
脳は男女差がある。
何が違いかというと、女性が共感能力に関しては高い傾向がある。
もちろんこのことは個体差があり、ようするに共感指数をしめす、
ガウス分布の山が男性よりも女性の方が多いという意味である。
柴田翔の自伝的小説の中で男の子と女の子が積み木遊びをしているシーンがある。
その遊びに対する男の子と女の子との対応の違いがおもしろい。
男の子は自分が勝ったか負けたかという遊びの結果にムキになるが、
女の子ほうは勝敗が問題なのでなく、2人で一緒に遊んでいる。
それ自体を大切だと考えてる。
一般的には女性のほうが、人間関係やコミニケーションに依拠した行動をとることが多く、
したがって共感能力や周囲に対する同調能力が高いと考えられている。
その意味で女性はどちらかといえば、自分自身の価値基準や独断で世の中を闊歩しようというより、周りの人と同調し、
また自分がどうみられているかという他者の視線を自己の成り立ちに
反映させることを大事にしながら、社会と折り合いをつけて生きていこうとしている。
こうして女性の共感能力は、女性がおかれている社会や文化による影響であり女性が後天的に身に着けざるを得なかった悪しき性向だと批判された時代もあった。
ファエミニズムによる言に「人は女として生まれてくるのではない。おんなになるのだ」というものもある。
ボーヴォワールが第二の性において述べた言葉である。
このことが示唆する主張の是非は別にして、この認識は正しく事実である。
なぜなら、人間の自我も人格も他者との兼ね合いで構築されていくからだ。
これは女性に限ったことでなく、男性も同じである。
ただ一般的に女性は男性より、どちらかというと他者との関係性に敏感な傾向があるというだけだ。
この傾向はあくまでも生物学的な起源における話である。
また他者との行動をシュミレートするミラーニューロンの近年の発見や
コミニケーション能力が徹頭徹尾社会的な人間の知性の本質である点を
脳の構造から考えれば、社会的な人間関係を中心にそえて、
自分の存在を構築していく女性のほうが、よほど洗練されているといわざるを得ない。
その一方で男性はどうかというと、抽象的、論理的思考が強く
システムを分析、検討し、そのパターンを支配する隠れた規則を
探り出そうとする衝動、システムを構築しようとする傾向にあるという研究もある
もちろんこれはあくまでも傾向であって共感能力にたけた男性もいるし
システムを得意とする女性もいるだろう。
ただどうもこの共感能力とシステムの能力は相補関係にあるらしいという点は興味ふかい
つまり共感能力が高い数値を示すひとは、物事を論理的に考えることが苦手で逆に執拗に物事の論理性を追求するひとは、共感能力が低いという傾向があるらしい。 |
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